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千葉地方裁判所 昭和57年(ワ)835号 判決

原告 武内建設株式会社

右代表者代表取締役 武内清

右訴訟代理人弁護士 吉峯啓晴

同 森田健二

同 吉峯康博

被告 大同生命保険相互会社

右代表者代表取締役 福本栄治

右訴訟代理人弁護士 齋藤和雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金二一七一万二〇〇〇円及びこれに対する昭和五六年一一月一日から支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は生命保険業を営む相互会社である。

2  原告は昭和五五年一一月一日、被告との間で、訴外武内勇(以下、「勇」という。)を被保険者、原告を保険金受取人として、次のとおりの約定のある生命保険契約を締結した(以下、「本件保険契約」という。)

(一) 被保険者が、給付責任開始の日(本件の場合は昭和五五年一〇月二〇日)以後に発病した疾病によって、保険期間中に所定の廃疾状態となったときは、被告は原告に対し、死亡保険金と同額(二〇〇〇万円)を廃疾給付金として支払う。

(二) 被保険者が、給付責任開始日以後に発病した疾病を直接の原因として、その疾病の治療を目的として入院した場合で、その疾病の治療のための保険期間中の入院日数が継続して二〇日以上となったときは、被告は原告に対し、疾病入院給付金として一日当たり八〇〇〇円を所定の日数分支払う。

(三) 被保険者が、給付責任開始日以後に発病した疾病を直接の原因として、その疾病の治療を目的として保険期間中に所定の種目の手術を受けたときは、被告は原告に対し、手術給付金として手術の種目に応じた金額を支払う。

《以下事実省略》

理由

一  請求原因1項及び2項の各事実、同3項の事実中、勇が背髄腫瘍を発病したこと、同人が昭和五六年三月一三日及び同年六月五日の二回にわたり第二ないし第五胸椎の椎弓切除及び腫瘍剔出等の手術を受けたこと、同人が同年二月一六日から同年五月一一日まで及び同年六月三日から同月二二日までの間入院したことは当事者間に争いがない。

二  ところで、原告は勇の背随腫瘍は本件保険給付責任開始日後の昭和五五年一二月に発病し、同人は昭和五六年六月二〇日症状が固定して廃失状態となった旨主張し、被告はこれを争うものであるが、抗弁の性質に鑑み、右発病時期等の点はさておき、まず被保険者たる勇の告知義務違反の点について検討する。

抗弁及び原告の主張事実中、勇が昭和五五年四月五日の朝膝に違和感を感じたこと(但し、その程度、特にそれ以降勇に歩行障害があったというべきか否かについては争いがある。)、同月七日勇が大野中央病院に赴き長谷川医師の診断を受けたこと、その際、勇が歩行障害、右下腹部痛、両膝脱力感を訴えたこと、同日検査のため(単なる検査のためだけか具体的に両膝拘縮等の疑いがあったため、更に精密検査をするためであったかは争いがある。)入院するように勧められて入院して、諸検査を受け、同月九日勇の希望により退院したこと、勇が長谷川医師から大学病院を紹介されたこと(但し、その趣旨については争いがある。)、勇は同年九月一二日被告の診査医岩倉晴二の診査を受け、同医師から告知書に基づき過去五年以内の健康状態につき、「病気や外傷で七日以上の治療を受けたこと(または休養したこと)がありますか。」と、また現在の健康状態につき、「からだにぐあいの悪いところがありますか。」「病気や外傷のため診察・治療・検査・入院・手術をすすめられていますか。」と質問されたのに対し、いずれも「無」と答えたこと、本件保険契約は原告に池田二千六百が勧誘したことにより締結されたものであるが、右池田にしても岩倉医師にしても勇と接しながら特段異常を感じたことはなかったこと、勇は自らを被保険者として別途第一生命保険相互会社と生命保険契約を締結していたが、昭和五五年九月二六日右契約を解約したこと及び被告は原告に対し、勇に告知義務違反があったとして、昭和五六年九月六日到達の書面で本件保険契約解除の意思表示をしたことの各事実は当事者間に争いがない。

右争いのない事実に加えて、《証拠省略》を総合すると、次の各事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠は存しない。

1  勇は昭和四六年に大学を卒業後、実兄の経営する原告会社に勤務し、健康上特段問題とすべき事情はなかった。

2  勇は昭和五四年一一月ころから右下腹部痛とともに時折両側膝痛や歩行に際し両下肢に異常を感じ、その円滑を欠くことがあったが、さして気にもとめていなかったところ、昭和五五年四月五日朝目覚めてベットから立ち上ったとたん急に両足の力が抜けて倒れそうになったため、同月七日、大野中央病院に赴いて院長たる長谷川医師の診察を受けた。

3  右診察に際し、勇は同医師に歩行障害、右下腹部痛及び両膝脱力感を訴え、体を前後屈させると両下肢の力が抜けることから、同医師は勇に検査のため入院するように勧め、勇は同日同病院に入院した。長谷川医師は勇の症状から両膝拘縮、背髄腫瘍、関節リウマチ等が一応考えられると思い(但し、これらのことは勇には告げていない。)、翌八日及び九日にかけて背髄造影、尿検査、髄液検査等の諸検査を行ったが、特に異常は発見されず、勇の病状につき原因の解明に至らないまま同月九日勇は自らの希望により退院した。

4  翌一〇日には外来で訪れた勇に対し、大野中央病院では尿路造影剤のテスト等を行い、更に同月一四日、長谷川医師は再び外来で訪れた勇に対し、大学病院の阿部光俊教授宛の紹介状を書いたうえ背髄造影のレントゲンフィルム(勇の腰椎から仙椎にかけてを撮影したもの)を交付して、同教授の診察を受けるよう勧めた。

5  勇は同月一九日、大学病院において前記阿部教授の診察を受けたところ、同教授は長谷川医師が考えているよりももっと上部の胸椎部に異常があるのではないかと考えたが(この点も勇には告げられていない。)、精密検査をするのに一週間の入院が必要である旨告げたところ、自覚症状もなくなった勇は右入院検査を希望せず、以後同教授の診察を受けることもなかった。

6  その後、前記症状が再発することもなく日常生活において特段の支障もなかったことから、勇は前記症状のことは単なる一過性のものと考え生活していたところ、同年九月九日原告は本件保険契約を申し込み、被保険者たる勇は同月一二日被告の診査医岩倉晴二の診査を受けることになった。

7  前述のとおりの状況であった勇は、右岩倉医師に対し積極的に前記症状があったことや大学病院で診察を受けるように勧められたことを告げず、また同医師から告知書(質問表)に基づいて、過去五年以内の健康状態につき、「病気や外傷で七日以上の治療を受けたこと(または休養したこと)がありますか。」とか、現在の健康状態について、「からだにぐあいの悪いところがありますか」「病気や外傷のため診察・治療・検査・入院・手術をすすめられていますか」と質問されたのに対し、いずれも「無」と答え、その他本件契約締結に至るまでに前記症状があったこと等を被告に対し告知したことはなかった。

8  同年一二月に至り、勇は右足の運動に不自由を感じ、昭和五六年一月二九日、東京女子医科大学の診察を受けたところ背髄腫瘍と診断され、同年二月一六日から五月一一日までと同年六月三日から同月二二日までの二回にわたり入院し、その間三月一三日及び六月五日に第二ないし第五胸椎の椎弓切除、腫瘍剔出及び硬膜外水腫除去の手術を受け、同年六月二〇日ころから第三胸髄節以下は完全に麻卑し、両下肢の運動能力を喪失したまま現在に至っている。

なお、当事者の主張に鑑み、右認定理由等について多少付言するに、まず昭和五四年暮ころ及び昭和五五年四月五日の勇の症状についてであるが、証人武内勇は時折右腹痛があった他夕方になると下肢が多少だるいと感じることはあったが、足がもつれるとか跛行ということはなく、四月五日も朝一度足から力が抜けたようになっただけで歩行困難ということはなく、大野中央病院の長谷川医師や看護婦にもそのように告げた旨証言するのであるが、いずれも勇の訴えに基づき記載されたものと認められる前記乙第七号証の二の大野中央病院の外来カルテには昭和五四年暮ころから両側膝痛があり、四月五日には歩行障害があり両下肢が抜けたようになった旨、前記乙第七号証の七の同病院の看護記録には、昭和五四年一一月ころ両下肢にもつれがあり跛行する(特に右下肢)、昭和五五年四月五日及び六日に歩行困難となった旨、及び前記乙第九号証の三の大学病院外来カルテには、主訴として歩行困難、現病歴として昭和五四年一一月に歩行が円滑にできず、足首背側の屈曲がよくできない、鶏状歩行ぎみ、暖めるとよくなる、痛み(一)、正常歩行不可、両膝にしびれ感あり、歩行がうまくいかない旨がそれぞれ記載されていることは明らかであって、これらの各記載内容に照らせば、昭和五五年四月五日の朝両下肢の力が抜けたようになったことをもって歩行障害がみられるようになったというか否かは表現上の問題としても、昭和五四年の暮ころの病状に関する前記証人武内勇の証言は措信できず、右各乙号証によれば昭和五四年一一月ころからは、その程度は必ずしも明らかでないにせよ、勇には時折両側膝痛や歩行が円滑に行なえないという症状があったものと認めるのが相当である。次に、阿部教授を紹介された趣旨についてであるが、原告は、長谷川医師は勇に対し、異常がないとの所見を明らかにし、そのうえで心配なら念のために診てもらったらどうかとの意味で紹介したに過ぎない旨主張し、証人武内勇もこれに副う証言をするのであるが、《証拠省略》によれば、大野中央病院での二日間の検査では特に問題とすべき結果は出ていなかったものの、長谷川医師としてはこれで何ら異常はないと考えていた訳ではなく、右は十全の検査を尽した結果ではないことから、勇の症状に照らせば腫瘍その他の病気が隠されている可能性も捨てきれないと考えて阿部教授を紹介したものと認められ、その勧め方は是非ともといった深刻なものではなかったというものの、右紹介に至る理由や前記認定の紹介状を書き、背髄造影のレントゲンフィルムまで持たせていることからすれば、長谷川医師において異常なしとの所見を明らかにしていたとは考え難く、それはただ検査の結果では異常は発見されていないという程度のものではなかったかと推測され、したがって、阿部教授へ紹介したことも単に気休め程度のものではなく、それなりの意味、必要性があったからこそなされたものと認めるのが相当であって、これに反する前記証人武内勇の証言は右に述べたことに照らし措信し難い。

三  以上のことから抗弁について判断するに、告知義務違反とは、保険契約の当時保険契約者又は被保険者が悪意又は重大なる過失により重要なる事実を告げず又は重要なる事項につき不実の事を告げること(商法六七八条一項)とされ、右重要なる事実とは危険測定に関し、保険者がその事実を知ったならば保険契約の締結を拒絶したか、少くとも同一条件では契約を締結しなかったであろうと考えられる事情を意味し、その判定は、保険の技術に照らして、当事者の主観にかかわりなく、客観的になすべきものと解されている。右見地からすると、被保険者たる勇において昭和五四年一一月ころから時折両側膝痛や歩行に円滑を欠くような症状のあったこと、昭和五五年四月五日の朝には急に両下肢の力が抜けるということのあったこと更には右原因解明のため大学病院で阿部教授の診察を受けるように勧められていたことは、それが直ちに勇に背髄腫瘍等の重大な疾病のあることを意味するものではなかったにせよ、専門家たる長谷川医師や阿部教授の判断によれば、かかる腫瘍等という重篤な疾患の可能性もあることを一応疑わせるに足る事実であったのであるから、右事実は本件保険契約の危険測定に関し客観的にみて重要なる事実であって、告知義務の対象となるものであったと認めざるを得ない。しかるに、勇は右症状の持つ意味や阿部教授を紹介された趣旨を過少評価し、自ら大学病院での原因解明の機会をも利用しなかったため(《証拠省略》にみられる阿部教授の診断内容に照らすと、同教授のもとで精密検査を受けていたならば胸椎部に何らかの異常が発見された可能性が強い。)、事の重要性を理解し得なかったものであるが、医学的知識の乏しい一般人といえども、両側膝痛や歩行に円滑を欠くことがあったり、両下肢の力が急に抜けたりしたことにつき一般開業医ではその確たる診断がつかずに大学病院まで紹介され、そこでも原因解明のためには一週間程度の入院、精密検査が必要である旨告げられていたとすれば、右症状につき何らかの重要な疾患が潜んでいるのではないかと疑がって当然であり、これを自覚症状が一時消失したことをもって一過性のものと安易に考え、しかも、その原因究明の機会を失った結果、前記症状等の重要性の認識に至らなかったとすれば、勇には右認識を欠いたことにつき重大なる過失があるものと解するのが相当である。しかして、勇は本件保険契約締結に至るまで右重大なる過失により診査医たる岩倉医師その余被告に対し右重要事実を告げなかったばかりか大学病院あるいはその余の医療機関において診察、検査を受けたうえでの一定の結論が出ていない以上、約五ヶ月まえに長谷川医師から大学病院を紹介されたことは未だ現在(診査当時)の健康状態につき病気のため診察、検査を勧められていることになると解するのが相当であるところ、右岩倉医師の告知書(質問表)に基づく同旨の質問に対し、前記重大なる過失により「無」と答えたのであるから、これらの点からみて勇には本件保険契約締結について告知義務違反があったものといわねばならない。以上のことからすると、前記のとおり抗弁4項の事実は当事者間に争いがないから、結局、抗弁は理由があることになる。

四  以上の次第で、結局抗弁に理由がある以上、原告の本訴請求は請求原因事実中の勇の背髄腫瘍の発病時期等について検討するまでもなく失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 河村吉晃)

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